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2016年6月14日

附属中から入ってきた子供たちが高校で一緒になることで相乗効果を狙う。

取材日:2016年6月14日
インタビュイー:横浜サイエンスフロンティア高校 栗原峰夫 校長先生
インタビュアー:森上教育研究所 特任研究員 若泉 敏

【インタビュー前半あらまし】
・生徒の進路実現(大学進学)をどう図っているのか?
・サイエンスを冠したユニークな高校を開設した経緯と課題は?
・「サイエンスの力」と「言葉の力」?をつける学校
・「SSH」と「SGH」、両方の指定は全国にも稀な学校
【前置き】
横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校が平成21年(2009年)に開校して今年で8年目に入ります。そして来年2017年度から、いよいよ附属中学校が開設される運びとなりました。栗原校長先生には、以下の3点を中心にお話を伺います。 一つめは、進学実績に関して。 二つめに、これまで高校単独として進展してきたわけですが、この中でいろいろな試み、試行錯誤があったと思います。高校開校当時の構想がその後どのように実現されてきたのか?その過程で課題として見えてきたのはどんなことだったのか?中高一貫化することで、新しい課題も出てくるだろうと思います。生徒の教育が6年間に広がったところで、学校経営という観点から、どのような学校をつくろうとお考えになっているのか。現場を預かる立場でお話しをいただきたい。 三つめに教員の問題。6年一貫の中に教員組織と人材育成をどう組み込んでいくのか。学校サイドのほうからお話いただきたい。この3点ですね。

適性検査問題についてもお尋ねしたいところは山山ですが、きっとお答えできないだろうと(笑)。教育委員会の専管になっていると思いますので。私が考えることを少しはお伝えしながら。当然、栗原校長もお係わり合いにはなることだろうと思いますので。ああそういう見方、考え方もあるのかということで、聞きおよびいただければと思っております。三つの大きな柱プラス一つでしょうか。

イントロダクション

横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校が平成21年(2009年)に開校して今年で8年目に入ります。そして来年2017年度から、いよいよ附属中学校が開設される運びとなりました。栗原校長先生には、以下の3点を中心にお話を伺います。 一つめは、進学実績に関して。 二つめに、これまで高校単独として進展してきたわけですが、この中でいろいろな試み、試行錯誤があったと思います。高校開校当時の構想がその後どのように実現されてきたのか?その過程で課題として見えてきたのはどんなことだったのか?中高一貫化することで、新しい課題も出てくるだろうと思います。生徒の教育が6年間に広がったところで、学校経営という観点から、どのような学校をつくろうとお考えになっているのか。現場を預かる立場でお話しをいただきたい。 三つめに教員の問題。6年一貫の中に教員組織と人材育成をどう組み込んでいくのか。学校サイドのほうからお話いただきたい。この3点ですね。

適性検査問題についてもお尋ねしたいところは山山ですが、きっとお答えできないだろうと(笑)。教育委員会の専管になっていると思いますので。私が考えることを少しはお伝えしながら。当然、栗原校長もお係わり合いにはなることだろうと思いますので。ああそういう見方、考え方もあるのかということで、聞きおよびいただければと思っております。三つの大きな柱プラス一つでしょうか。

左:栗原峰夫校長  右:若泉敏

若泉:まず進学については、昨年度(2015年)東京大学合格者は0人であった。今年は6人と、開校以来最高の合格者数ということになっています。いったい昨年と今年はどういう事情があったのか、東大の進学に限って、何があったのか。合格者はたしか現役ばかりですよね。それと関連して、コンクールでかなり優良な結果を残した生徒が、今年度初めて実施された東大の推薦入試で1人合格したと聞いております。それも踏まえてお話いただければ。

栗原校長:東京大学は6名現役です。一昨年まで3人の合格者を確保していたのが昨年0になって、今年6というのは、外から見たときに相当注目されるなというのは、よくわかります。まず0になってしまったところについては、本校としても大いなる反省はありました。それが修正されたのですぐ6に結びついたかといえば、なかなか難しい。たった1年で戦略の組み換えを完全にできたということではないんですけれども。やはり3年間の育て方のところでの(指導の入れ具合)、学習への向かわせ方というんですかね、それは一つ大きかっただろうと思います。本校の場合、先ほど若泉さんがおっしゃった試行錯誤という言葉がありましたけれども、いろんな意味で試行錯誤をしています。その3年間の中でいかに高いレベルの大学に引き上げていくかという、進学指導、学習指導という部分を、まさに戦略として試行錯誤を積み重ねてきた中で、その前の年にはなかなかそれが形に結びつかなくて、今度は結びついたというのが、一番簡単な言い方にはなります。 今年成果を出した生徒たちは5期生なんですが、5期生は何かというと、1期生の成果を見て入ってきているんですね。大学の結果、要するに(横浜)サイエンスフロンティア(高校)が、海のものとも山のものともまったくわからずに思い切って入ってきたあの1期生たちが、果たして大学にどういう道を開くかというのは、これはみんな、まあまあそう結果は出ないだろうなと思っていたと思うんですね。それが1期生は、東京大学をはじめとして結果を出してきた。その数字を見て入ってきたのは5期生なんです。4期生たちは、自分たちがサイエンスを受験するときというのは、じつは1期生の成果は見えていないんです。

若泉:そうですね。東京大学の合格発表があるのは3月末ですからね。4期生の高校受験は2月にすでに終わっている。

栗原校長:4期生の場合、すでに開校後3年がたとうとしていましたから学校自体は、課題研究をし海外研修も積むという形のアピールを、われわれはしっかりとやってきたわけですので、保護者たちは、教育内容に関する理解は非常に高かった。ですから4期生は本校の学習に非常にスムーズに入ってきて、勉強していく、非常に真面目な生徒たちでした。ただ、私たちが反省しているのは、そこに甘んじてしまってもう一つの、基礎的な学力から始めていわゆる大学に向けての高いところに引っ張っていく部分で、より鍛えなければいけなかったというのはありました。 それに対して5期生は、サイエンス(YSFH)がたとえ公立の新しい高等学校であっても(進学先は)なかなか(実現して)いけるのではないか、なおかつサイエンス(先端科学)としてのユニークな立ち位置を持っているという思いで、選んでくれたということがとても大きかったですね。3年間学習時間の確保であるとか、学習に向かわせるための年次のかかわりなど、4期も非常に丁寧にやっていましたよ。4期生たちは素直で、力を発揮して、私は期待以上のものは出ていたと思っています。が、まあ5期生はそれにプラスして、もともとの地力を含めて、大学に対する向上心が高かったということでしょうか。

若泉:いまの先生のお話で分かることは、4期までに入ってきた生徒には意欲やチャレンジ精神が非常にあって素直である。一方親の理解も、進学実績うんぬんよりも本校の教育姿勢を高く評価する、そういう家庭層が入ってきたんだろうと思います。ところが、1~3期生が毎年3~4人の東大合格者数を出していたところから0に落ちてしまった。 でも考えてみればそれは起こりうることですよ。教育者としての観点から申し上げると、お子さんのそれぞれの個性にしたがって進路を選択していったならば、必ずしも東大に行くことが理想の道筋とは限らないんです。そういう個々人の様々な志望が実現されていったとするならば、(東大合格が0であっても)問題となることではない。ただ反省として、いわゆるトップ層の生徒を、もっと伸ばせる、もっと効果的に、より難関の大学に、という課題があったかもしれないという理解でよろしいでしょうか。

栗原校長:とてもありがたい理解をしていただいています。 4期生も、たとえば京都大学に入学した者がいる。これは私たちは絶対そういう戦略はとらないんですけど、上位層を集めてとにかく東大で勝負させるということをすれば、私は数字は出せたと思っております。0ではなかったなと。それだけの生徒は4期生の中でも育っていましたし、育てられた。ただ、生徒たちと学びたい場所(大学)と学びたい内容(研究課題)についていろいろ話していくと、それは東京大学ではないという生徒たちが明らかにいました。京都大学をはじめとして地方に向かっていた子もいましたし、東京工業大学という生徒もいたわけですね。ですから最終的な0という数字がどうしても残ってしまうことは、これは結果としてやむをえないと思いながら、私たちは、サイエンス(YSFH)の進路指導、サイエンスの学習指導を伝えたという自負はありました。 5期生の場合には、より上位層が厚みを増した部分があり、東工大合格者もずいぶん出ました。推薦であるとかAO(アドミッションズ・オフィス入試)であるとか、自分の課題研究のアピールをして入学していく生徒、それは初期からいたわけですけれども、それが東工大で確かに認められ、あるいは初めての東大の推薦で女生徒が理学部に入りました。じつは私たちが狙っていた部分、私流の表現をすればですね、ささやかながらに、と思っていた部分での動きが見え始めた。これは私としては非常に嬉しいところですね。

若泉:「ささやかながらに」と思っていた。なるほど(笑)

栗原校長:相当面談を丁寧にやっていますし、いろいろなデータを駆使しながら年次が進路指導部と一体になって進めていますので、おおむね満足できる形で進められているのではないかなと思っています。当初は初代校長の佐藤先生から、私もそれは言っているんですが、第一目標をあきらめない。結果として浪人に結びついても、それはやむをえない。とにかく1年歯をくいしばってやっていくことで、次の目標につながっていくとしてきました。佐藤先生は、1/3は現役で国公立、1/3はいわゆる有名私学、1/3は浪人と目標を立てられて、1期、2期生は相当な浪人を出しております。校長の思いを、生徒たちは非常にわかり、保護者たちも応援して、1年浪人し、あるいは医学部狙う子は年数重ねながら到達ということもあります。これは、卒業してからもバックアップしてきたところなんです。ただ生徒の状況を見て、1年浪人することがベストなのか、それよりも、現役のときにどれだけ力を精一杯発揮させながら次の目標に向けていくかという進路指導もあるというような議論はいろいろしています。それは保護者も含めてですけれども、ケースバイケースの進路指導をある程度徹底できているでしょうね。1期生に比べると浪人率は下がっているんです。

若泉:1、2期生の浪人率(卒業生数に対する浪人生の割合)はどれくらいでしたか。

栗原校長:1、2期は、おおよそ3割は浪人になっていましたね。

若泉:先ほど、浪人を相当多く出してしまったというお話がありましたが、公立の進学校では、全国見ましても5割、昨今は浪人する生徒の割合が減りつつありますが4割程度はある。3割というのは、少ないほうではないかな。

栗原校長:私どもの感覚からすれば、伝統校なり、私学なども含めて進学校は、ある部分の浪人は当然あるということなんですが、いま入試の形態が変化する中で、保護者の感覚も変わってきていますのでね。ただそれによって進路指導を変えたわけではなくて、それぞれの適性を見るということです。たとえば細かい話になりますけれども、理学を勉強したい生徒にとって、たとえば北里という大学の魅力であるとか、東京農大でバイオをやることの魅力であるとか、そこまでわれわれはきちんと視野を広げて講ずることができる。それを本校の一つの特性にしていかなければいけません。こういう学校を作った以上は、単純に大学のいわゆる既成の評価、名前で選ぶということではないということですね。

若泉:教育者として、一人ひとりの生徒がその子に応じて進路実現を果たしていくことが理想であるし、それが当たり前なんだという気持ちは強くあります。

栗原校長:それは徹底しています。ある新聞社の記者のかたが来られて、よく公立の高校は、国公立にこれだけ合格者を出すという目標を立てているけれども、あれはいかがなものか?という批判を正面からぶつけてこられたことがありました。横浜サイエンスフロンティアも、1/3国公立と、何がなんでもとにかく国公立(の合格者を出して)、その数字で学校の当初の目標を果たしたように言っているのはおかしい、という言い方をされました。 まあ、そういう見方もあるかもしれないけど、うちの場合は見ていただければわかる。全国展開をしていて、(地方大学は)入りやすいから数を稼いでいるとあなたは見るかもしれないけど、そうではなくて、どこで何が勉強できるか、それを考えて、たとえば島根を選んだり、鹿児島に行く生徒がいたり、という進路指導をしている。もちろんそれは本人たちの客観的な力をわれわれが見なければいけないし、そこ(地方の大学)だからこそ学べる学問があったり、(高校時点の自分の課題研究の)その次に続く研究があったりというところまで見た上で(受験する大学を決めることを)やっているので、われわれは胸を張って、北は北海道、南は九州という言い方をするんですと、笑って答えを返したことがあるんです。 今回琉球大学に合格した者が3名います。琉球は初めてですね。いままで鹿児島まででしたので。冗談のように、私は北は北海道、南は九州、沖縄までと胸張って言えるねと笑ったんです。地域に根差し、バックグラウンドを持っている理学や工学の研究はありますので、そういうものを視野に入れて進んでいける生徒を、私たちは育てられていると考えています。

若泉:なるほど。ローカルの大学で昨今非常に注目を浴びている大学はいくつかありますが、たとえば、秋田県立国際教養大学というのがございますね。

栗原校長:秋田には、最初に行った生徒がいましたね。上智大ではなくて国際教養大に行くという女生徒でした。勇気のいる選択だったと思いますが、大学の高い評価、学部の教育プログラムが非常によいとわれわれも受け取っています。

若泉:それから私立ですが石川県にある金沢工業大学というのが就職率100%という。お隣にある福井大学が、国立大学の中ではNO.1の就職率を出し続けているとか。そういうことがありますよね。地方独特の研究課題、あるいは様々な特色がある大学というのは、生徒が調べてくるんですか。それとも先生方が、こういう大学もあるよということで、生徒たちに紹介しているんですか。

栗原校長:どちらかというと、どういう研究ができるか、ある程度の生徒たちはマスター(大学院前期課程修士)まで当然視野に入れながら、そこを研究する場として見ていますので、一番は生徒自身が開拓してくるということが多いです。 もう一つは、本校は課題研究で大学(横浜市立大学等)の先生のサポートを受けられるということがあるので、そこで生徒たちが、こういう研究をもっとやってみたいということがあれば、その先生は、たとえばこういう大学でこういう先生がいる、とか、こういう分野でやっていくと次のチャンスが出てくるかもしれないとか、アドバイスがいただけるんですね。

若泉:なるほど。そのようなアドバイスは本格的で、実効性の高い進路指導になりますね。

栗原校長:これは非常に本校にとっては大きな力です。それで担任なり進路指導部が話を受けたときに、今度は若泉さんがおっしゃった、大学からの出口(就職)ですよね。生徒たちはなかなかそんなところに目が行きませんので、そこもあわせて見たときに、ここは期待できるねというような話になる。最終的には一体化した進路指導になっていきますが、学校が先に、こういうのがあるよと見せるようなことはあまりないですね。

若泉:それが普通だろうと思います。そうしますと、昨今言われておりますキャリア教育における主体性という点でも本校は注目していい。生徒が自ら自分のしたい研究課題を定めた上で、将来の自分の目標や目的が達成できるような道筋を主体的に訴えたときには、学校は幅広い見地から子供たちに応えることができるよと。そういうふうに考えていいのでしょうか。

栗原校長:そうですね。

若泉:そうすると本校は、他の高校と差別化できる有利なシステムを備えていることになりますね。

栗原校長:応援団という言い方を私たちはするんですけど、これだけの専門的な応援団(大学や研究機関)をいただいていて、生徒にとって遠い存在ではないですね。それは非常に大きな力になっています。また、保護者の方の理解といいますか、サイエンスフロンティアのような、こういう学校があれば自分が来て学びたかったと、そのように考える保護者の割合が非常に高いわけですね。そうしますと、ではここで得た力を次にどう伸ばしていくかというふうに、まさに生徒たちと同じレベルに立って保護者が考えてくださる。かたくなにこの(有名)大学でなければダメだとか、この(高い偏差値)ランクでないとうちの子供は、という話ではなくて、本当に生徒が将来に向かっていく上では、保護者の方と我々が一体となる進路指導ができていく素地があるな、と感じていますね。もちろん全てとは申しませんけれども。

若泉:来年度以降中高一貫化された場合でも、この保護者の理解や考え方というのは学校運営に側面からの支援になるだろうと思います。 私は適性検査の調査を10数年ずっとやってきました。私立中学受験の学力検査とは異なると言われていますが、公立の適性検査において、ガツガツとそんなにトレーニングを積んできたのではない、まだ磨かれていない原石の受検生の中に、将来の日本を背負って立つ子どもがいるんじゃないか。その子たちをしっかりとすくい取れるような、よりよい検査問題を公立一貫校は作ってほしいなと、訴え続けてきました。 ところが、昨年あたりから国の教育の流れが大きく舵を切って、大学入試を変えるということになった。その大学入学新テストでは、①知識・技能、②思考力・判断力・表現力、③主体性・多様性・協働性や学びに向かう力など、21世紀を生きる子どもたちに必要な3つの力を、記述式の問題を中心にして測定するという。しかし、考えてみればこんなことは10数年以上前から、公立中高一貫校では適性検査という形で実行してきているんですよね。ようやく世間が追い付いてきた、という感はぬぐえません。まあ、公立中高一貫校にとっては6年後の大学入試の前哨戦のような適性検査をして入学者を決定するのだから、チャンス到来という状況になった、と私は見ます。 そこで、その3つの力をいかに適性検査を通して測っていくのか、そして入学した生徒をどう育成していくのかという点も含めつつ、2つ目のお話、本校の設立の経緯とその後の経過や中高一貫化の課題に入っていきたいと思います。

若泉:もともとこの地には鶴見工業高校があって、古い校舎を改築して科学技術高校に改編するという話でした。10年程前のことです。ところができあがったのは横浜サイエンスフロンティアなんて長~い名前の学校が、日本でもユニークなサイエンスをやるよと。しかもいろんな人を呼んで、その力も借りながら、生徒を教育していくと。若泉:どうしてそのような発想が、どこからどのように出て、どう実現されたのか。このいきさつが現在の資料からはよくわからない。栗原校長先生の経歴もお話しいただいた上で、新しい価値観や考え方で、日本全国から注目を浴びることになる高校を作られた経緯をお話しいただけますか。

栗原校長:学校設立時からの代表としてご紹介するのは、スーパーアドバイザーの先生がたです。特に常任ということで本校がお世話になってきているのは、和田昭允(あきよし)先生です。このかたがキーパーソンということになります。

鶴見工業高校の再編整備を、この場所で進めるというのが当初の計画でした。横浜市立高校全体を再編整備していく中で、工業高校を、新しい科学技術の学校でリニューアルするというのが当初の動きで。実際それで準備は進んでいたんですが、一番大きかったのは、市長が替わられたことでした。中田(宏)さんが市長になったとき、言い方が難しいですけど、トップエリートの科学技術人材を作る学校に方針を転換されたんですね。はっきり言って横浜市の、この学校についての戦略が変わった。ただ、なかなか実現するには難しいところがあり。

そこで大きな役割を果たされたのが、和田昭允先生です。日本のゲノム研究の第一人者で、ちょうど理研の横浜研究所がここから歩いてすぐ近くにあります。 あそこはもともとゲノム研究のセンターとして、10年以上前にできていました。そのときの所長でいらっしゃったんですね。当時の中田市長が和田先生とお会いになって、当然、横浜市が誘致をした理研をサイエンスフロンティア地区の起爆剤にする。そのサイエンスフロンティア地区に高校を作る。その高校で新しい科学技術の雄になる人材を作りたいんだとおっしゃった。そこで和田先生が(新しい高校は単なる工業系の学校でなく)思い切って変えましょう、と言ってくださいまして、この地域の有力なかたや、横浜市立大学の理学部長だった小島謙一先生も含めたアドバイザリー委員会が基本方針を出しました。

そこでは明らかに、工業高校とは切り離した形で、まったく新しい科学技術の学校を作るということになり、先端科学にとにかく高校のうちからふれる、課題研究を軸にする、それによって、世界で活躍できるだけの人材を育てる、ということで、進んでまいりました。それが現実のものとなったわけです。 そこに、もう一つのご質問、私がどうかかわったかについてですと、私はもともと横浜市立高校の教員です。じつは教科は国語です。市立高校で、東、南、Y校(横浜商業高校)と渡り歩いてきました。Y校に1クラスだけ国際学科というのがあるんですけれども、そのときの立ち上げメンバーでもありました。おそらくそういった経歴も買われて、本校の準備の最終段階での2年間、教育委員会の指導主事となりました。それまで10年にわたって先輩の指導主事たちがいろいろと作り上げてきたものを、バトンタッチを受け、最後の段階でたまたま自分がいたということになります。準備室で主任指導主事として仕事をして、校長予定者として佐藤春夫先生がその上にいらっしゃいました。平成21年に開校した段階で佐藤春夫先生が校長で、自分は副校長としてスタートし、結局自分がここに残る形になって佐藤先生のあとを継いで校長5年目になります。ですので、ある部分、自分が最終段階の準備をし、この学校の理念、理想を全部理解しているつもりですので、その意味ではブレずに来ることができたと思っています。

若泉:そうでしたか。昨年、大阪市の市立咲くやこの花中学校・高等学校(併設型)、あそこも元は工業高校を改変整備してできた学校ですが、そこを取材しました。

栗原校長:ユニークなところですよね。

若泉:非常にユニークなんです。中学は20人ずつ4つの分野で募集をかけて80人、高校でも新たに総合学科と専門学科で80人ずつをとる。調理師志望から国立難関校ねらいまで学力差が普通の公立一貫校以上に開く。それぞれの学科で進路目的が違うものですから。それを先生がたが、学力も上げなきゃいけないわ、料理人や劇団に入る支援もしなけりゃいけないわ。ものづくり創作もある。それをどうするのか、非常に苦労しながらここまで歩んできた。 学校長も、やはり教育委員会の担当当時から開校にかかわり、まさにリーダーシップを力強く発揮して作り上げてこられた。この学校は、私はもっと全国に紹介していいんじゃないかと思っています。ただ、校長ご自身が、やっぱりユニークなかたですね。外から見てそう思う。でも、ご本人にとっては普通のこと、当たり前なんです。そういう先生たちの発想の豊かさは、どうやって形成されてきたのかなと。一般的に校長がポンと着任して、誰かにやれと言われてやれるものでもなかっただろう。栗原先生はご専門が国語ではいらっしゃるけれども、興味関心の広さ、深さ、そういうものを人生の中で体験してこられて、源流として、自己実現される過程で上手に図ってこられたことがあるのではないかな。これは憶測ですが。やっぱり人を得ないと、実現できるものもできないということもあります。そのあたり、先生の人生観は?生き方は?

栗原校長:余計なことにすぐ首を突っ込んで、ものを言ってしまうたちだったので失敗したんだと思っています(笑)。この高校が科学技術高校(仮称)としての準備段階に、私はまだ一教員でしたけれど、教育委員会が市立高校各校に説明に回ったんですね。市立高校の中に、鶴見工業を今度こういう形で変えていくと。政策の変更があったので、教員側に説明しなければならない。当時の担当部長と、顔見知りの指導主事が回ってこられて、新しいサイエンスとして科学技術を勉強する、英語も勉強する、世界に羽ばたく人材を作ると説明をしたときに、『それはおかしい。国語を完全に無視している。ベースの国語なくして、すぐ英語に飛びついて、そういうことをやっていくのはいかがなものか』と。回りが栗原さんやめろと言うのに、偉そうに、立ち上がって文句を言ったことがありまして、それで目をつけられてしまったと、あとになって思うんですけども(笑)。 いまもこの学校では、はっきりと、【サイエンスの力】と【言葉の力】をつける学校だと言いきっています。これは和田先生ともよく相談しながらのことです。サイエンスの力というのは、単なる知識だけではなくて、それを活かせるだけの知恵に変えていくこと、論理的な思考、そういうものをここでしっかりと身につける。もう一つは、豊かな言葉を駆使して、仲間と協働しながら新しいものを作っていく。それがもちろん最終的には英語にバトンタッチしなきゃいけないんだけれども、ベースとなる母語たる国語の力も大事にする。そして文化を愛するということで、1年で国語総合を5単位入れる、2年になっても古典のBで3単位入れるなどは自分が準備室のときに死守したところなんです。理科の人間は、少しでも理科を当然増やしていきたいという部分があるけれど、そうではないと。これは和田先生をはじめ科学者のかたがたからも、非常に支持をいただいてきたところであって、結果、その部分でマッチできたかなと思います。 若泉さんがいろいろ聞いてくださるので、自分の過去を振り返れば、自分はもともと高校のときは理系だったんです。高3のとき理系受験をして失敗し、自分はこのまま理科で行っても上手くいかないなと思い、予備校の願書を出すときに「文転」をしました。結果、国語の教員になったという不思議な人間です。ただ、国語が専門ではなくて、大学ではマスターまで教育社会学を学んでいました。教育学専攻で、社会学をやっていた人間です。じつはそういうことがこの学校でリーダーとなって生かせているんです。非常にありがたいですね。和田先生とお話をしているときに、理科の専門のことはわかりませんけれども、社会学を軸に考えてきましたので、ある種の社会科学的な、科学=サイエンスの切り口は非常によくわかります。なおかつ文学の中で漱石を愛してきたということも、いろんな意味で生きています。

若泉:そうですか。私ざっと基本計画を拝見していましてね、サイエンスの学校なんだけれども、社会科学はいつどこでどのようにふれさせて、どう子供たちに伝えていくのかな、と。これはどこかでお尋ねしなきゃいけないことだろうと思っておりましたが。栗原先生はちゃんとそこを踏まえて、手は打っておられるのかなという気はしますね。サイエンスを、理系だけの自然科学としてとらえるのではなくて、人文科学・社会科学という面もあるだろう。

栗原校長:そうです。この学校はサイエンスの学校だけれども、とにかくこの学校を単純な理系の学校としては決して見ないとしています。ですから、一番われわれが否定してきたのは、文転という言葉です。この学校で学んで文系の学部に行く生徒も当然出る。理系の学部に行くことが当然多いだろう。けれども、サイエンスを勉強した上で、文に行く生徒こそがこの国において非常に必要であるし、これも和田先生がよく言われるんですが、理だ文だ分けて考えるのは日本だけであると。本校はリベラルアーツをある部分、理想にしています。それを徹底したいなと思います。 SSH(スーパーサイエンスハイスクール)は、本校では最初から、これは教育委員会もですけど、当然とるべきものであると考えていました。和田先生のお言葉を借りれば、この学校こそがSSHの理想であるというつもりで頑張ろうということでしたので、第2期も(SSHの指定を)いただいて走っているところです。 SGH(スーパーグローバルハイスクール)は、私は、文部科学省の当初出た案からすれば、うちは無理だなと思ったんですけれども、とにかくチャレンジしました。SGHもいただくことができたときに、この学校の中でいかに社会科学的な研究を進めていくかという部分については、じつは私なりの策はありました。先ほどお話しした自分の経歴もありますので、ある部分道筋は作れるなと。外からの力も、だいたいこういうところから借りることができるなとかですね。ただ、非常に厳しいですけどね。やはりSSHが本体の学校で、SGHもあわせてやっていくのは、特にうちのような理数科の高校では難しいです。正直、文科省の枠組みはやむをえないものとは思いながらも、グローバルという点での発想が違うと思いますけれども。

若泉:そこで、私は、本校は大変なチャンスをいただいたんだろうと。SGHまで指定を受けたということは。世界を視野に入れて、社会科学面でもモチベーションを上げていくような工夫、仕掛け、というものを盛り込むチャンスが出てきたのではないかな、と思いました。いま先生のご経歴をお伺いして、これは先生がおられるあいだに、ある程度固めていかないと、あとで入ってきた先生がたは、サイエンスだということ(自然科学中心)に流れてしまいがちになるだろう。そんな危惧をいま、お話を伺いながらじつは。

栗原校長:当然私がずっといられるわけではありません。そこでシステムとして、組織の中でもサイエンスとグローバルをしっかりリードしていく部門を作っています。この学校がめざしているものは、決してかたよっているものではなくて、若泉さんはチャンスと言ってくださいましたけど、本当に新しい時代に向かっていく、人材を作る大きな力になるという学校です。われわれがいままで以上に視野を広げて対応できるようにということは、場面場面で伝授しようと努力はしていますし、アピールを続けているところです。

若泉:そのときに、私、全国を見ていて感じるのは、人を育てていくときに、教委と学校が上手にタイアップしていかないと、なんかバラバラに動いてしまう可能性があるなと感じています。たとえば宮崎の県立五ヶ瀬中等教育学校にしましても、1学年40人しかいない生徒たちをどう育てていくかについて、当初着任した校長たちの考えと、その後の具体現実的な課題をどうやるかに直面したところで、当初の、森の中で育成していく人間像が、一人ひとりを活かすんだという名のもとに、結局は細かいことに目が行っちゃった。それはその後、県立宮崎西ができたり、県立都城泉が丘ができたりということで、県教委が全体を見なきゃいけないし、宮崎県自体が人口減少が非常に激しいところですから、県全体の中でみると、五ヶ瀬というのは、やはり辺ぴなところにあることもあって、視野から遠ざかっていく。すると人事もそこに影響してくるようになって、いろいろ課題が大きくなってきたんだなという気がしました。だからそういうことも踏まえて、教委と学校がちゃんと連携して動けるのか。よほど意識していかないと、学校がいつの間にか変わっちゃうこともあるのかなと思ったものですから。ただ横浜市は全国最大の政令指定都市だけれども、地方の道府県が抱える課題とはまた違う。

栗原校長:そうですね。当然若泉さんたちから見れば、公立の学校に対するある部分の心配といいますか、危惧されるのはよくわかります。現実として、そういうことは起きる、と思いますね。ただ、本当にありがたいことに、横浜市がこの学校に向けている真剣さというものは、自分がここを預かってやりとりをしながら、非常に強く感じているところです。強力にバックアップをしてくれているということがあります。まあ変な話、他校からすれば、なんでお前のところだけそんなに別なんだということになりますけれども、でもそれくらいの思いを持って見てくれています。もちろん、人事の制度などが横浜市ルールですので、その中から突出したものがあるわけではありませんが。 ただ、新しい教員を配置してくれるときの人の選び方にしても、これはおそらく若泉さんの質問の最後のところにつながるんですが、横浜市立の中学校で教諭を経験してきているメンバーが、うちの学校に結構いるんです。これは横浜市のメリットですよ。中学から高校に移り、うち(市立高校)の中で十分勉強して経験を積み、鍛えて、中核を担ってくれ(るべく成長し)ている人たちがいます。そういう人たちを(本校に)入れてくれているというのも、教育委員会なりの戦略を持って動いてきている(証です)。当然、附属中ができて、中学の人間がまた増えますよね。そうなんだけれども、じつはうちは母体のところに中学をよく理解している人間がいるんですよ。そこと一緒にやっていくことを前提にしていますので、私も全然心配はしていないですね。

若泉:そうですか。それは県立の中高一貫校と違うところですよね。(神奈川県教育委員会は市町村立小学校と中学校の教員人事権はあるが、小・中学校の教育行政に県は関わらない。YSFH附属中学校は市立高校附属なので、当然に市教育委員会が中学・高校ともに関わる。)

栗原校長:はい。これは横浜市の大きな利点です。南高校には、優秀な中学生が育ってきています。私も研究発表を聞きに行って、質問する中で、非常にいい生徒たちが育っていると感じました。南高校と本校の違いは、やはりサイエンスフロンティア(高校)という新しい試みが、ある部分評価してもらった上で、その後に附属中を新しく作るということですね。サイエンスフロンティアという高校の学びのありかたそのものを教育委員会にしっかりと評価してもらった上での附属中学(開設)です。その点で、私は心配する部分がない。さらに教育委員会がこれだけ本校をバックアップするに至るには、和田先生をはじめとするかたがたが応援団でいてくださり、さらに学校運営協議会という組織もあります。学校運営協議会は私の応援団です。私を支持してくださるおかげで、私もここでこの立場でつないでいられるなと思うんです。よくコミュニケーションをとりながら、それぞれのスーパーアドバイザーのかたも応援してくださっているといます。今回の中高のありかたについても、その点は非常に大きな力となっています。それは、他の公立の学校とは正直違います。

若泉:いやね、教員世界の独特の文化があるじゃないですか。そこへ、外部から人を入れていって、新しい知見も加えて、彼ら(応援団)の力がこの学校を非常に盛りたてているんだという経緯の中でフロンティア高校が作られた。これは、行政(教育委員長)とか市長が変わったとしても変わることのない基盤を築いてしまった。これが全国にもなかなかないところでしょうね。なるほど。

栗原校長:正直、まだまだだと思っていますので、決して安定はしていない。試行錯誤は繰り返していますし。そしてまだまだ色々ないい結果を出せると信じています。附属中から入ってきた子供たちが高校で(高1で)一緒になります。相乗効果を狙う。(サイエンスの力を)さらに正しく、パワーアップするために入ってくるので、別々で育てるのでは(附属中学校を)作る意味がありません。それを狙い、さらに近い将来に、上の段階を目指せるようにというのが、最終的に教育委員会の判断です。

(インタビュー前半終了)

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