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 水木しげるの妖怪まんが『遠野物語』を読んだことがありますか。柳田國男は、その原作者で日本民俗学という学問をつくりあげた人です。庶民の生活文化の歴史について、言い伝えなどにもとづいて研究する学問が民俗学です。

 柳田は最初から民俗学の研究者だったわけではありません。一高、東京帝国大学(いまの東京大学)在学中に情感あふれる恋愛詩を発表し、若き文学者としてスタートしました。

 大学を卒業後、詩を捨てて、農商務省(いまの農林水産省、経済産業省の前身)に入省し、農政の専門家になります。柳田は仕事を通じて全国各地の農村を歩きました。宮崎県椎葉村を訪れ、焼き畑農業や狩りの実態を知ることで、山村にも目を向けるようになりました。

 そんな柳田の前に、岩手県・遠野出身の佐々木喜善(鏡石)という青年が現れます。彼に山村のありのままの事実を語らせ、柳田が記録して生まれたのが『遠野物語』です。

 佐々木青年はザシキワラシやオシラサマ、神隠し、天狗、山男、山女、雪女、川童などの不可思議で、奇怪な話を語りました。遠野では、人間とこれらの神さまや妖怪たちが一緒に暮らしているというのです。

 川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。(『遠野物語』から)

 『遠野物語』では119の話が語られています。秀でているのは『遠野物語』22話の佐々木家の幽霊話ではないでしょうか。曽祖母が亡くなった通夜の夜、裏口のほうから足音がして、ひつぎに入れたはずの老女がやって来ます。

 「あれ!」と思う間もなく囲炉裏の脇を通り行くとき、老女の着物のすそが炭取り(炭を入れておく容器)にさわり、丸い炭取りだったのでくるくるとまわったのです。炭取りがまわるところが日常性と怪異の接点で、三島由紀夫は「みごとな小説になっている」と評しました。

 『遠野物語』は、日本民俗学の先駆けとされる重要な記録ですが、多くの読者には詩的な散文でつづられた文学作品として受け入れられました。

 やがて、官僚の世界を離れると朝日新聞社の客員になり、論説を執筆。そのかたわら、調査で全国を旅し、紀行文を発表して民俗学の確立に全力を注ぎました。50代で『海南小記』『山の人生』、60代で『木綿以前の事』『妹の力』『日本の祭』、70代で『先祖の話』などを精力的に発表。87歳で亡くなる前年には集大成の『海上の道』を刊行しました。

 「日本人とは何か?」「日本人はどこからやって来たのか?」。柳田は生涯、考えつづけました。伊良湖岬に漂着したヤシの実に着目し、はるか南方から黒潮に乗り、稲をたずさえて北上してきたという壮大な仮説「日本人の南方渡来説」を展開しました。

イラスト・はせがわゆうじ


・生没年 1875~1962年

・出生地 いまの兵庫県福崎町

・本名  旧姓は松岡。のちに柳田家の養子になる

・代表作年 『遠野物語』(1910年)、『海南小記』(25年)、『桃太郎の誕生』(33年)、『日本の祭』(42年)、『先祖の話』(46年)、『海上の道』(61年)など


おまけコラム

 「我が恋成らずば我死なん」と情熱的に恋をうたった柳田國男は急に詩を捨て、官僚の世界に入り、農政学、やがて、民俗学の道を歩みました。

 青年時代は小説家の田山花袋と親しく、花袋が発表した恋愛小説『野の花』や『春潮』では、恋に悩む大学生のモデルとして描かれました。エリートで美青年だった柳田は、女性にもてたそうです。

 利根川沿いの小さな街で出会った少女・いね子との恋は哀切でした。彼女はまれに見る美しい人でしたが、胸を患い、18歳の若さで他界。柳田は利根川を夜船で下る彼女のひつぎを川岸から見送り、このときに恋愛詩に別れを告げたといいます。彼の原点には「秘められた恋」がありました。

解説 

岡山典弘 愛媛県松山市生まれ。松山大学および自治大学校卒。愛媛県庁勤務を経て、現在は松山大学非常勤講師(日本文学)、文芸評論家、三島由紀夫研究家、エッセイスト、作家。

(2019年5月20日 LINEニュース 朝日こども新聞掲載)

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